2006年6月 8日 (木)

信じたがる脳

不安な国民

         

NPOシックハウスを考える会を通じて、色々な方とお会いさせていただきます。


ホームページ →  NPOシックハウスを考える会 愛知・岐阜支部 


相談者はもとより、光触媒や空気触媒といった機能性商材の売り込みなど、多くの方の話を聞かせていただいております。そこで出てくるキーワードを列挙しますと、

「電磁波」または「電磁波過敏症」

「光触媒」最近は「空気触媒」

「自然素材」「天然素材」

「LOHAS」「無農薬無添加」などなど。

 

色々なところでこれでもか!と言わんばかりにこうしたキーワードが与え続けられると、誰しも記憶の中に「そんな事もあるのね。」と勝手に信じ込んでいきます。これらに○○大学の○○教授や○○博士などと肩書きが、権威付けに利用されると、もう、それだけけで疑うことも無く信じ込んでしまいます。


みんな色々なことが不安なんですよね。その不安が多すぎて、「またなの…。」と考えを忌避するかのように信じることで、その問題から早く逃れて、解決策へ行きたいと願うのではないでしょうか。

そこに待っているもの。根拠の無い思い込みとそこに付け入る商売です。



ブードゥサイエンス(邪悪な科学)

 
良くある相談です。


「リフォームしたら子供のアトピーが酷くなりました。もしかしたらシックハウスではないかと思い、リフォームしたY工務店に相談しました。そうしたら『自然素材ですから大丈夫なはずですが。』と言われました。それでもおかしいから見に来てくれと言うと、『見に行くのはかまいませんけど…空気清浄機でも買われたらどうです?』って言うんです。どうしたら良いでしょうか?」


明らかな間違いが2つあります。まず、自然素材はシックハウスに対して万能ではありません。ですから「大丈夫」の根拠は希望に過ぎません。次に、空気清浄機も万能ではありません。メーカーに確認をすると、キチンとその様な注意書きがしていあると教えてくれるます。空気清浄機がシックハウス対策に効果的かどうかはその環境を調査しなければいけない。しかもほとんどの場合は、あまり期待できない結果になるはずです。


そしてさらに付け加えると、シックハウスはアトピーの悪化要因の「ひとつ」とされます。しかし、あくまでそれは「ひとつ」であって、アトピー性皮膚炎の原因は多岐に渡りそれらが複合的に作用しあって症状を呈する、と言うのが正しい見解とされています。


こうして考えて見ると、いかに私達が盲目的に専門家の言うことを信じているかです。

「実績30年のリフォームのプロが言うのだから間違いない。」

ホントに?科学的な根拠は?


「年間1000棟の実績ですから、皆様に支持されていますので安心です。」

何が安心なの?悪徳訪販リフォーム業者もそれくらいの実績出しますよ。


私達は本物の目を養う必要があります。その必要性を気づかせてくれる良書をご紹介します。

「わたしたちはなぜ科学にだまされるのか」ロバート・L・パーク著

ぜひ、ご一読されると良いですよ。永久機関・宇宙ステーション・電磁波・UFOなど具体的な事例で、科学の目を教えてくれます。

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2005年9月27日 (火)

それぞれの想い-「俺はかあちゃんを殺した」

今日は絵本でも本でも無く、ドキュメンタリー番組を題材にしてみました。先日「おおきな木」をアップしたところでもありましたのでとても考えさせられました。

NNNドキュメントhttp://www.ntv.co.jp/document/

平成17年9月25日放送「俺はかあちゃんを殺した」

60年前太平洋の小さな島テニアン島で当時17歳の少年が経験した地獄と今日に至るまでの葛藤を紹介しています。

テニアン島は戦前日本がドイツから領土を譲り受け、日本領として統治しました。この時代には南洋興発会社というサトウキビを利用した製糖工場があり、その従業員や軍関係者など1万人以上が居住していました。戦争が始まると島は軍が支配しましたが、本当の支配者は空と海から砲弾とともにやって来ます。この少年には両親と妹2人の家族があります。一家そろって他の家族などとも一緒に島の北方へと逃げて行きます。

遠くから聞こてくる飛行機の音に日本軍の救援と勘違いした妹の一人が喜んで洞窟を飛び出します。次の瞬間、アメリカ軍の飛行機の砲弾の破片が彼女の耳へ食い込みます。服が血で真っ赤に染まります。まともな医薬品も食べ物もありません。体力は衰え高温多湿の洞窟ではすぐにウジが湧きます。ウジが食い込むのか、痛がるので包帯を取ってひとつづつとってやります。

タンカに載せられぐったりとした意識の中で彼女はポツリと言います。

「このままでは足手まといになります。殺してください。」

母は何度も父にすがるように懇願します。それでも父は。

「しかたない…。ゆるしてくれよ。」

腰のベルトを外してサトウキビ畑の中で彼女の首を締めます。

いよいよ戦火は激しくアメリカ軍の最後の通告がなされます。

「明日の10時までに投降せよ。」

当時の日本の教育では敵の捕虜となる事はこの上ない恥として徹底的に教育されています。誰一人として岸壁の洞窟から出るものはありませんでした。翌朝はまさに地獄絵図でした。一斉砲撃の中、隣の家族の父親が毛布を妻と子に被せてその上に覆いかぶさるようにして必死に守ります。しかし、家族を守るその父親の腕は黄赤褐色に染まります。妻と子の頭がありません。

母は17歳の少年に言います。

「生きているとこんな地獄をずっとみなければいけない。もうたえられません。いっその事殺して欲しい。」

「どこの誰とも知れないアメリカ兵に殺されるくらいなら、腹を痛めた我が子に殺されるたい。それは幸せな事です。お願いだから殺しておくれ。」

こんな状況では普通の理性など完全に崩壊しています。人間ではありません。目の前に手を合わせて微笑む母の心臓を撃ち抜きます。どっと血が溢れてきます。まだ生きています。父が頭を撃てという。頭に一発撃ちます。なきがらを抱きかかえてそのまま海へ放り投げました。振り返ると今母を殺したその場所で妹が座っているではないですか。

「お兄ちゃん。今度は私の番だね。」

この少年のその後60年間の想いはどんなものだったのでしょう。少年は78となり今テニアンの島に帰って来ました。母を殺したその場所で彼は嗚咽ながら叫びます。

「かあちゃーん。」

私達戦後の世代はとても幸せな時代を生きている事をもっと自覚しなければなりません。こうした悲しい時代に生きなければならなかった、全ての人々のたくさんの想いの上に生きている事を。だるい・ウザイ・かったるい…もはやそれすら幸せの証拠といってもいいのかもしれません。どんな人にもそれぞれに想いがあります。せめて生きているうちに想いをどんな小さな事でもいいから行動に現したいと思いました。

※)ドキュメンタリーの内容については私の記憶に基づいて記述しています。できるだけ忠実になるように努力しましたが、口語部分は私の印象に基づいての表現ですのでご理解ください。

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